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羽曳野簡易裁判所 昭和53年(ろ)114号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実

被告人は、朝日ヘリコプター株式会社(本社東京都)の操縦士として回転翼航空機の操縦業務に従事しているものであるところ、昭和五二年二月一八日午後三時ころ、回転翼航空機を操縦して新潟県北蒲原郡笹神村大字大室字家の下七九六番地付近上空に至つた際、折からの降雪のため視界が悪くなつたので、同地上の藁積みを髙度判断の基準となる目標物に設定したうえ着陸しようとしたが、同所は広い雪原で白一色のため右目標物を見失なえば機体の高度を把握しがたい状況にあつたのであるから、右目標物を見失なわないように同機の速度を調整しながら接近して同目標物の手前で着陸するは勿論、もし同目標物を見失なつた時には直ちに同機を上昇させて高度を維持し、もつて同機の安全を確保すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠り、同目標物に接近するにあたり速度の調整をあやまつたため同目標物の上を通り越してしまつたのみならず、高度判断ができなくなつたのに直ちに同機を上昇させなかつた過失により、着陸復行中同機の右スキット(そり)を雪中に突つ込ませて同機を同所に横転大破させるに至り、もつて航行中の航空機を破壊したものである。

第二事実の概要

〈証拠関係省略〉

一被告人の飛行経歴、資格等

〈省略〉

二本件事故の発生にいたつた雪中体験飛行訓練の内容及び本件事故当日午前中の訓練の状況〈省略〉

三本件事故機及び同機の整備状況〈省略〉

四本件事故の概況

本件事故当日の昭和五二年二月一八日午後第一回の雪中訓練が行われることになり、今井訓練生が本件事故機の操縦席に、田頭教官が後部左側座席に、被告人が後部中央座席にそれぞれ座り、午後一時三分、本件事故機は、今井訓練生の操縦により新潟空港を離陸し、阿賀野川に沿つて新津、弥彦、新津と飛行し、再び阿賀野川に沿つて、午後一時五三分、同空港に着陸した。この間、本件事故機は、髙度約一、〇〇〇フィートで飛行したのであるが、飛行中所々で降雪があつたものの、雪がそれ程バブルに付着することもなく、無事帰着したのであつた。

その後燃料を補給し、内外部の点検を実施し、異常のないことを確認して、第二回の雪中訓練に入つた。被告人が本件事故機の操縦席に、田頭教官が後部左側座席に、次回の操縦予定者である染谷成夫訓練生が後部中央座席にそれぞれ座り、午後二時一九分、本件事故機は、被告人の操縦により新潟空港を離陸し、阿賀野川に沿つて高度約一、〇〇〇フィート、速度七、八十マイル毎時で航行したのであるが、横越村の鉄橋附近にさしかかつたころから雪が降り出し、雪中飛行の状態となつて、新津から山側コースをとり、離陸後約二五分経過したころ、機首を新潟空港に向けて帰途についた。このころから、視界が次第に悪くなり、被告人は、右下方にぼんやり見える山すそを見て山を確認しながら、五、六十マイル毎時に減速して飛行するという状態であつた。被告人は、バブルに雪が附着して前方が見え難くなつたので、田頭教官に対してこの旨の報告をし、さらにローターブレードに雪が附着するとピッチが上り、危険な状態になるという同教官の講義の内容を思い出して、ローターブレードにも雪が附着しているかも知れないと思い、「ピッチが上つてくるかも知れない。」と告げた。田頭教官は、これをピッチが上つてきたという報告として受けとり、ローターブレードに雪が附着してピッチが上り、機体の安定が保てなくなつて、重大な事態をも起しかねないと判断して着陸を決意し、被告人に対し「あの辺に」といつて着陸場所について大まかな指示をして着陸を命じ、被告人が本件事故機の高度を約一、〇〇〇フィートから約五〇〇フィートに落した時点で、さらに被告人に対し「あの目標物に」といつて具体的な指示をした。辺りは一面の雪原であり、被告人はその中に一か所高くなつている突起物(高さ約一・三メートル、基部の経一・四メートルの藁小積)があるのを発見し、教官の指示するところを直ちに了解して、それを目標物として着陸することを決意した。そのころ、本件事故機は降雪の中を通り抜け、視程もよくなつていた。被告人は、目標物を見分するために目標物が南方左下に見える位置にくるよう旋回し、高度約五〇〇フィート、速度約六〇マイル毎時から徐々に高度と速度を落し、北から南に向かつて一回目のアプローチを行つた。このとき、被告人は本件事故機を高度約一〇〇フィート、速度約三〇マイル毎時まで下げた。その後、右旋回し南から北に向かつて二回目のアプローチを行つたが、このときは、被告人は高度約五〇フィート以下、速度約三〇マイル毎時以下にまで下げた。さらに、被告人は右旋回して北から南に向かつて三回目のアプローチをしたのであるが、前回と同じ高度速度をとつた。右の二、三回目のアプローチにおいて、被告人は雪の舞い上り具合を確かめ、大した舞い上りはないものと判断した。田頭教官は、被告人の行つたアプローチの操作を安心してみており、雪の舞い上り具合についても被告人と同じ判断を下していた。そして、被告人は、四回目のアプローチに入つたのであるが、着陸予定地点として目標物の南東約二六メートルの地点を選び、さらにその南方約二五〇メートルまたはもう少し手前の地点上空約三〇〇フィートのところから速度約三〇マイル毎時、進入角度一二度よりやや深目で降下し、右着陸予定地点の上空約一〇フィートでホバリングして、雪の舞い上り状況を見ながら雪面をスキッドで圧して着陸するつもりで進入したのであつたが、本件事故機が着陸予定地点に来ても減速せずに、高度約一〇フィート、速度約一〇マイル毎時で目標物上空をも通過してしまつた。被告人は、右着陸予定地点通過後、直ちに復行操作に入つたのであるが、復行できないまま目標物の約四〇メートル北の地点で本件事故機の右側スキッドを、次いで双方スキッドを雪の中に引つかけ、倒立するような格好で、右を下にして横転した。他方、田頭教官は、本件事故機が目標物手前の同教官自身の設定した着陸予定地点を通り過ぎたとき、「復行、ピッチ」と呼んでいたのであるが、騒音で被告人に聞きとれなかつたのであつた。本件事故機が横転してから、田頭教官は「大丈夫か、バッテリーを切れ」と声をかけ、染谷訓練生はバッテリーを、被告人はサーキットをそれぞれ切断し、上になつた本件事故機の左側ドアから同教官、同訓練生、被告人の順に機外に脱出した。このときの時刻は、午後二時五九分であつた。被告人らが機外に出たときには、降雪はなく、日が照つていて、西の風秒速三、四メートルであるのがわかつた。乗員に負傷はなかつたが、本件事故機は大破して、のち廃棄されることとなつた。

本件事故の翌日に行われた司法警察員による実況見分調書によると、本件事故機が横転した場所は目標物の北方四三メートルであり、スキッドの跡は巾四〇センチメートル、深さ三〇センチメートルで、横転した本件事故機から南に向かつて長さ約七、七メートルにわたり雪の中に印象されており、本件事故機はメインローター、燃料タンク、フライトコントロール系統等に切損及び曲りがみられ、テールローター、エレベーター、安定板及びドライブシャットが外に散乱していた。本件事故のあつた近くの笹神村山崎地区における事故当日の午後〇時から午後一時までの間の気象状況は積雪九七センチメートル、温度〇度、湿度八二パーセント、風速北の風五・三メートル毎秒、天候曇であつた。

第三当裁判所の判断

検察官が、本件事故における被告人の過失として主張するところは、被告人は、着陸進入の際、目標物手前のホバリング予定地点で本件事故機を停止させることができるよう速度を調整しながら右地点に接近するべき注意義務があつたのに、進入の操作を誤つて右地点で停止させることができなかつたこと、及び本件事故機が右地点を通過した時点で可及的速かに適切な復行操作を行うべき注意義務があつたのに、これを行わなかつたことの二つであり、検察官は右二つの過失は併存関係にある旨主張するのであるが、これらの過失について、本件事故に接着した方の過失から検討していくこととする。

一被告人の復行操作における過失

1  検察官は、被告人がスポット(着陸予定地点)上空でホバリングできないことを知つた時点で、可及的速かに適切な復行操作を行つておれば、スキッドの雪原接触は回避できたものと認めるのが相当であるとし、被告人の復行操作が適切でなかつたこと、すなわち、被告人は、(一)復行操作中基準線(地形、地物から判断した仮想の水平線)、高度計、速度計等のクロスチェックをすることなく、ごく近くの雪で覆われた平担なところのみを見ていたため、高度、水平感覚を失い、(二)必要な出力をほとんど増加させなかつたか、十分には使用しないまま機首を下げたために高度を低下させ、(三)スポット通過時の高度は約一〇フィート強であつたと推認されるところ、スポット通過後直ちに適切な復行操作(スティックの前傾、ピッチレバーの引上げ、エンジンパワーのアップ等)を基本どおりに行わなかつたから、スキッドの雪原接触を回避できなかつたものであると主張する。

2  被告人及び弁護人は、被告人が着陸予定地点に到達したころには、すでにホワイトアウトに陥つていた旨の主張をするので、まず右の主張について検討を加えることとする。

鑑定人木暮右太郎は、鑑定書において、「被告人がホバリングできなかつた原因は、着陸を予定した地点までに減速が終了せず、やや遅いかけ足程度の速度が残つたためホバリングに移るのを断念して着陸復行を始めたことによる」とし、この時点においては、むしろ被告人は、「雪面を見て着陸すべきであつたといえる。但し、ホワイトアウト現象により雪面から高さ感覚及び水平感覚が得られなかつたのであれば、着陸復行するのもやむをえないのは当然である。」として、被告人が復行操作の措置に出たのはやむをえないとしながら、「雪面にスキッドが接触した原因は、右雪面がホワイトアウト現象を呈して、被告人において、着陸復行に必要な高さ感覚及び水平感覚が得られなかつたことによると思料する。着陸復行には、地表面と不即不離の関係を保つための高さ感覚、並びにエンジン出力増加によつて生ずる機体の動揺及び不安定を制御するための水平面感覚が不可欠だからである。」と述べる。なお同鑑定人は、ホワイトアウトについて「地表がくまなく雪に覆われて自然色彩によるコントラストがなくなり、人の視覚による深度の弁別ができなくなる光学的現象をいい、太陽光線による影を生じない曇天であつて、かつ、積雪に切れ目がないときに生じやすい。またヘリコプターの場合には、積雪上のホバリングにより自ら巻き上げた雪けむりの中で、操縦者がビジュアル・キューを失う状態もホワイトアウトという。」と説明し、本件の場合には光学的現象としてのホワイトアウトがみられるとしている。鑑定人植木浄雄は、鑑定書において、被告人がスキッドを雪原に接触させた原因について「ホワイトアウトによつて生じた可能性はないと判断する。」とし、その理由について「事故当時の現場附近の天候及び事故現場附近の地形、地物から判断し、ホワイトアウト現象に陥つたとは考えられない。」と述べ、ホワイトアウト現象の意義そのものについては明らかにしていない。いわゆるホワイトアウト現象については、本件事故時において、それを生ぜしめる諸要因が必ずしも明らかではなく、現象そのものの認識についても右両鑑定人の間に相違のあることは当然予想されるところであつて、いずれの見解を是とすべきかについての結論には至らないが、植木鑑定書は後に述べるとおり本件の具体的状況についての認識に欠けるところがあるから、直ちにこれを採用することはできない。

ところで、運輸省航空事故調査委員会事務局首席事故調査官作成の「鑑定嘱託書の回答について」と題する書面(航空事故調査委員会議決にかかる本件事故報告書を引用したもの)には「機長は三回低空による進入を行つた後、着陸進入を行つたが速度処理が適切でなく、目標物を通り越してしまつた。目標物を見失つた機長は、高度感覚を失い着陸復行を行つたが、スキッドが雪面に接触し横転した。」と記載され、本件事故の原因は、被告人が着陸進入の際に速度処理の適切を欠いたため目標物を見失い、その結果として高度感覚をも失つたことによるもので、これを着陸進入の際の速度処理の不適切に求めている。被告人の昭和五二年二月二一日付司法警察員に対する供述調書には、「目標物を見失つたため、高度判定及び自分の姿勢というものが判断できなくなり、ピッチレバーの引き加減がわからずに復行できないまま目標物の四〇メートルくらい北の地点の雪上に横転してしまつたわけです。」という供述記載がみられ、被告人が目標物を見失つて高度感覚と水平感覚を失い、操縦の自由をも失つて本件事故にいたつたものであることの事情がうかがえる。

以上の事実を総合すれば、被告人は、着陸進入の際ホワイトアウトに陥つたものであるかどうかはともかくとして、白一色の雪の中にあつて、これにげん惑され高度感覚と水平感覚を失い、操縦の自由をも失つて本件事故を惹起したものであることは、これを認めることができる。

3  次に、被告人の復行操作について、その時期及び方法に適切さを欠くところがなかつたかどうかについて検討する。

さきに認定したとおり、本件事故機は着陸予定地点に来ても減速せず、高度約一〇フィート、速度約一〇マイル毎時で目標物上空をも通過し、さらにその先四三メートルの地点において、雪面上に長さ七・七メートルのスキッドの跡を残して横転したのであるから、右目標物通過時の速度一〇マイル毎時(秒速約四・四メートル)をもつてすると、スキッドが雪原に接触するまで約八秒を要したことになり、この間復行に必要な時間を超過して機体を逐次雪面上に低下していつたものと認めることができる。

被告人は、検察官に対する供述調書において、目標物の上を通り過ぎ、高度感覚を失つたのであるから、ピッチを使つて相当程度高度を上げ、しかる後に機体を前傾姿勢にしてスピードを上げ復行すべきであつたのに、まず機体を前傾にしたのが誤りであつた旨の供述をなし、後に公判廷において、目標物を通り過ぎようとした時点ではすでに復行を決意し、目標物を通り越して直ちに復行操作に入り、その操作に当つては精一杯これを行い、エンジン出力についても最大限アップした旨、しかしこの時はホワイトアウトに陥つていて、雲の中に入つたような状態であつた旨の供述をしている。田頭勇もまた、検察官に対する供述調書において、「被告人は目標物を失つてうろたえるので」復行を指示した旨、復行操作について「もつと一気にピッチを上げて、高度を早期に取り戻し、それから操縦かんを前に徐々に倒して前進すればよかつた」旨供述しているところ、第三回公判において証人として出頭し、右の供述につき被告人がうろたえるといつたのは、ホワイトアウトに陥つていたからそのようにいつたのである旨、復行操作についていつたところは、復行に必要な手順を述べただけである旨、今までいわなかつたホワイトアウトということをいうようになつたのは、被告人が復行操作を行つたのにかかわらず、何故復行できなかつたかを後になって考えたからである旨の供述をする。

さきに検討したとおり、被告人は当時雪にげん惑されて高度感覚と水平感覚を失い、操縦の自由をも失つていたのであるから、かかる被告人において、検察官調書において述べたとおりの復行操作を行い得たかどうか、かりに行い得たとして無事復行できたかどうか甚だ疑問なしとしない。被告人の前記公判廷における供述も、あながち自己の刑事責任を免れようとする意図に出たものとは考えられないところである。

4  検察官は、復行操作についてもクロスチェックの必要性を強調し、被告人はごく近くの雪で覆われた平担な所のみを見ていたため、高度感覚と水平感覚を失つたとするが、被告人が復行操作に必要な安全確認の作業を怠つたという証拠はないばかりか、当時被告人はすでに高度感覚と水平感覚を失つていたのであるから検察官の右主張は採用できない。

また検察官は、被告人の復行操作について、被告人は必要な出力をほとんど増加させなかつたか、十分にこれを使用しないまま機首を下げたために高度を低下させたと主張する。植木鑑定人は、鑑定書において、被告人が「スキッドを雪原に接触させた原因は復行操作に必要な出力をほとんど増加させなかつたか、十分に使用しないまま、増速のために機首を下げたために、高度を低下させたものと考える。」とし、その理由として「被告人は目標物通過後に復行操作を行い、機体は目標物の前方四三メートルの地点で接触している。これは復行操作を行つた後、逐次高度を低下させたものと判断できる。高度を低下させた原因は、高度判断等に気をとられ、出力を十分に使用しなかつたこと、使用した出力に比し機首下げ過大のために高度を低下させたものと考える。」としている。また同鑑定人は、証人として「復行操作をしたが高度は上昇できなかつたということは、結論として出力を使わなかつたか、あるいは出力を使つたが前傾姿勢が大きかつたので水平飛行または上昇できずに加速しながら高度を低下させたと思います。しかし、いろいろの立場から考えて、私は加速はしていないと思いますので、出力を使わなかつたのではないかと思います。接触、転覆の原因として関係者は前傾過大で出力をだしていたらよかつたと証言している。復行操作は出力を増し、そうした中で前傾姿勢をとるのですが、それが前傾姿勢をとり、出力を出すという逆になつています。前傾姿勢をとれば当然高度は落ちます。私は、前傾過大で出力を十分使わなかつたと思います。」と供述している(第一四回公判)。同鑑定人が関係者の証言として引用している被告人及び田頭勇の検察官調書の供述が必ずしも信用できないものであることはさきに見たとおりであり、これを自己の推論の基礎としている同鑑定人の前記鑑定もまた採用の限りではない。そもそも被告人が必要な出力を使用しなかつたとか、被告人のとつた前傾姿勢が出力に比して過大であつたとかいう証拠はないのであるから、この点について、被告人に復行操作の方法に誤りがあつたとする検察官の主張は採用できない。

なお、検察官は、被告人がスポット通過後直ちに適切な復行操作を基本どおり行つていれば、スキッドの雪原接触は回避できたと主張するのであるが、被告人がスポット通過後直ちに復行操作を行わなかつたという証拠はなく、適切であつたかどうかは別として復行操作を基本どおりに行わなかつたという証拠もなく、検察官の右主張も採用することができない。

以上のとおり、被告人に復行操作について検察官の主張するような過失を見出すことができない。

二被告人の着陸進入における過失

1  検察官は、被告人が目標物として選定した藁小積は、田頭教官らにおいても目標物として十分と考えていたものであり、かつ着陸予定地点一帯は一面の雪原であつて目標物としてそれ以外に選定すべきものがなかつたのであり、また進入方向左前方(北西方)の目標物から約一、〇〇〇メートルの地点には民家や木立が存在しており、視界は良好であつたので、藁小積以外にも右民家等を補助目標物として、高度及び速度を把握しつつ降下すれば、着陸予定地点上で速度を残すことなくホバリングに移行できたものと認められるところ、被告人においてこれをなしえなかつたのは、目標物である藁小積のみを見て降下し、適切なクロスチェックを怠つたからで、速度計、高度計を見、目標物たる藁小積の動きや基準線を確かめて速度を調節し、かつスポットにおいて停止できるよう機首を起し(減速操作)、パワーを徐々にホバリングに必要な量まで上げて、ピッチレバーを使いながら機首をホバリング姿勢に戻さなければならないのに、これらの操作をしなかつたものであると主張する。

2  検察官は、被告人が実施しようとした着陸進入の方針は、概ね妥当であつたとするが、被告人の前記過失について検討するに先だち、被告人が目標物として選定した藁小積が目標物としての適格性があつたかどうかについて考察する。

木暮鑑定人は、鑑定書において、「藁小積が進入降下のビジュアル・キューとなり得る状態とは、周囲一面に積雪がないときである。」とし、さらに「周囲一面が積雪に覆われ、右目標物も冠雪した状態のとき曇天となれば、ホワイトアウト現象を呈することとなり、視覚的に深度の弁別が困難」となり、「右目標物のみに依存して進入降下をすれば、降下角度及び対気速度を一定としてピッチレバーを調整している感覚に錯覚が混じるのが当然のこととなろう。と記載し、証人として公判廷において、高度が五〇〇フィートくらいのときは周囲(民家・木立)もよく見えるが、進入のため高度が低くなると雪原と目標物しか見えなくなり、そのときビジュアル・キューとしての欠格が起る旨、その高度は進入中期以降の一五〇ないし二〇〇フィートくらいからである旨、このことは熟練した操縦士にとつてもあてはまるものである旨、当時は被告人も田頭教官も藁小積が目標物として適格性があるかどうかの判断力に欠けていたと思われる旨、着陸進入に当つては、田頭教官らにおいて緊急事態であつて、今にも墜落の危険があると考えられていた旨の供述をしている(第一一回公判)。植木鑑定人もまた証人として当公判廷において、「進入に際してなるべく沢山のビジュアル・キューが取れる場所で、そういう方向に進入する必要があります。」と供述する(第一三回公判)。航空機が白一色の雪原上に着陸進入するにつき、その上に唯一点それも冠雪した状態にある藁小積を目標物とするとき、それとの間の距離感及び地上との間の高度間はともに判別し難くなることは、容易に推認できるところであり、被告人らが選定した藁小積は、着陸進入の目標物として必ずしも適格性があるということはできないと認められる。

3  次に、被告人が適切なクロスチェックを怠つたかどうかについて検討する。植木鑑定人は、鑑定書において、被告人はなぜスポット上空で停止できなかつたかということについて、進入中専ら目標物のみを見て進入した結果であり、本来姿勢、出力を調節するために見なければならない基準線、スポット、雪面並びに高度計及び速度計を頻繁にクロスチェックしなければならない、特に雪原からの高さは得にくいため、その分他の情報から高さ、速度を判断しなければならなかつたところ、被告人はクロスチェックを十分行わなかつたために、高度、速度の処理に錯覚を生じさせたものと考えると述べる。木暮鑑定人は、証人としてクロスチェックについては人間の能力の限界ということを考慮に入れ、もつと違う観点から見直されるべきものであるという趣旨の供述をなし、右の観点にたつて、「地平線を見、地面を見て焦点を合わせるのに一秒かかります。」「熟練者はクロスチェックをしていません。未熟練者はあつちこつち見てクロスチェックをやつています。熟練者は重要なものしか見ていません。熟練者は重要な問題の情報処理の部分が空いており、情報伝達経路に余裕があるので重要な情報があればそこに入ります。未熟練者は色んなものを見てそれを全部入れようとします。そのため情報伝達経路が一杯になります。」と述べている(当裁判所の証人尋問調書)。航空機が着陸進入するについて、クロスチェックの必要なことはいうまでもないところ、問題は当時被告人の置かれた状況の下で被告人はいかなる行為をなし得たかである。被告人の昭和五二年二月二一日付司法警察員に対する供述調書によると、本件事故当時バブル前面には操縦席から視野四五度の範囲にわたり雪が付着していたという供述記載がみられ、また被告人は当公判廷において、目標物が死角に入つて見えなくなり、これを見るために可能な限り体を動かす必要があつた旨、しかも体を動かすと機体も傾くという状況であつた旨供述する(第一二回公判)。右のような状態にある被告人に対し、植木鑑定人のいうようなクロスチェックをなし得たかどうかは、さきに見た藁小積の目標物としての適格性の点をも併せ考えるとき、甚だ疑問とせざるを得ない。

4  木暮鑑定人は、被告人が目標物手前の着陸予定地点附近でホバリングできなかつた要因は、左の諸々の事象による誤差が集積されて、減速が終了しなかつたことによると思料されるとし、(一)一面の雪原の中に小さい一点として所在した右目標物は、正確な降下角を感覚するためのビジュアル・キューとしての要件を欠いていたことにより、降下角及び対気速度をなるべく一定としてピッチレバーによる目測の修正を行う感覚に錯覚が混入した可能性があること、(二)バブルの着雪及び計器盤による視野障害があつて、安定した直線進入を行えば右目標物は全く視死角に隠れることとなるため、機体の方向、姿勢もしくは自己の操縦姿勢を変えて、一時的に右目標物を瞥見せざるを得なかつたこと。このため、進入が多少は不安定となつた可能性があること、その他三つの理由を掲げるが、同鑑定人が指摘する右の二つの理由は、まさに本件事故発生の原因として認められるところである。

以上のとおり、被告人には着陸進入についても検察官の主張するような過失を見出すことができない。

5  ところで、木暮鑑定人は、証人として当公判廷において、本件事故の主要原因がホワイトアウトにあるとしても、熟練した操縦士は本件事故を回避することができたのではないかという指摘をなし、熟練者は本件のような場所においても何とか切り抜けるもので、例えば速度対高度限界(エンジンの故障などによる万一の場合においても、ローターのオートローテーションの作用が利いて無事着陸が可能となるために維持しなければならない一定の速度と高度の限界のことで、右両者は互いに相関関係にある。)についてもこれを金科玉条とすることなく行動するものである旨供述する(第一一回公判)。なお、同鑑定人は、回転翼航空機については飛行時間二〇〇時間で事業用操縦士の資格をとることができるが、何でも一通りこなせるようになるには飛行時間三、四千時間の経験を必要とする旨の供述もしている(当裁判所の証人尋問調書)。

そもそも、人を過失犯として処罰をするためには、その者の置かれた状況下にあつてその者と同じ地位、身分にある平均的人間として何をなすことができたか、何をなすべきであつたかを考え、これについて刑事上の過失として処罰するに価する行為があつたかどうかを問うことが必要である。被告人は回転翼航空機の事業用操縦士の資格を有するが、本件事故は被告人が同資格を取得して二月余り後の時期に、会社から命ぜられ、訓練生としての始めての雪中訓練飛行に参加した際に発生したものであり、しかも右訓練の初日の雪中体験飛行の課程においての突然の雪原着陸においてであつた。被告人は教官から着陸進入を命ぜられ、被告人自身も緊急事態の認識を有し、雪原着陸以外の他の方法を選択する余地のない行為であつた。あるいは被告人の技能がより優秀であれば、本件事故の発生にいたらなかつたかも知れないが、被告人にはその行つた具体的操作において、当時被告人が現に有し、かつ被告人と同じ程度の訓練生が有している技能をもつて、そのなすべき操作を怠り、またそのなすべからざる操作を行つたということはできない以上、被告人に対し本件事故の発生についての過失を問うことはできない。

三結論

以上検討したとおり、本件は犯罪の証明がないから被告人に対し無罪を言い渡すべく、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

(裁判官藪田新三)

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